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東京地方裁判所 平成7年(刑わ)802号 判決

主文

被告人を無期懲役に処する。

未決勾留日数中一一〇〇日を右刑に算入する。

理由

以下の記述においては、「罪となる事実」を除き、別紙のとおり、共犯者とされる者らは姓のみをもって表示することとする(ただし、それぞれ最初の表記については姓名を記載する。)。

(認定事実)

第一地下鉄サリン事件

(犯行に至る経緯)

一  被告人の身上・経歴

被告人は、昭和五七年三月、青森県内の高校を卒業後、上京してガソリンスタンド従業員やトラック運転手等の仕事をしていたが、昭和六〇年九月ころ、雑誌「A野」に載った「オウム神仙の会」に関する記事を読んで、精神世界に興味を抱くようになり、昭和六一年一一月ころ「オウム神仙の会」に入会した。その後、「オウム神仙の会」は、A1ことAを教祖とする「オウム真理教」と名乗るようになり、平成元年八月には「宗教法人オウム真理教」(以下「教団」という。)となったが、被告人は、その間の昭和六二年八月に出家し、「ワーク」と称する教団活動に従事し、教団関係出版物の営業やヨーガのインストラクター等を経た後、建設班に所属して建築資材や薬品の運搬等をするようになった。平成四、五年ころ、被告人は、ホーリーネーム「ローマ・サカンキャ」を与えられ、平成六年ころに菩師となり、同年六月末の教団の省庁制施行後は一旦建設省に所属したものの、やがて自治省に移り、法皇警備担当として、A及びその家族の警備、Aの専用車両の運転等をするようになった。本件各犯行当時の被告人の自治省における地位は、次官であったが、これはAあるいは教団から抜擢されたというものではなく、教団の経営する飲食店での食事の際に、自らAに願い出てその諒解を得たものであった。

二  Aによる犯行の指示と謀議状況

Aは、教団教祖として活動を行ううち、人類救済のためには、一般人に対する殺害行為のみならず、国家権力を打倒することが必要であると説くようになり、教団の武装化を進め、その間、教団によって、種々の違法行為が行われてきたが、平成七年一月(以下、平成七年の事象については、年号を省略する。)、いわゆる松本サリン事件について、警察が教団との関連を捜査している旨の報道がなされ、さらに、二月二八日にBやCらに実行させたいわゆる目黒公証役場事務長逮捕監禁事件について教団の関与が疑われる状況となったことから、教団に対する捜査当局の強制捜査が実施されるのではないかと考えるようになった。

このような状況の中で、Aは、三月一八日未明ころ、東京都杉並区高円寺所在の飲食店で行われたBらの正悟師昇格祝賀会の帰途、山梨県西八代郡上九一色村(以下「上九一色村」という。)の教団施設に向かうAの専用車であるリムジン内において、同乗させたD、E、F、Bら教団幹部に対し、教団に対する警察の強制捜査の可能性やこれを阻止する方策について意見を求めた。そして、Dから、「地下鉄にサリンを撒けばいいのではないか」などと返答があったのを受けて「それはパニックになるかもしれないな」などと対応し、サリンを東京の地下鉄電車内に撒布し、多数の乗客を殺害する無差別テロを行い、首都を大混乱に陥れて、強制捜査の実施を阻止しようと考えた。そして、Aは、Dの総指揮でこれを実行するように指示し、同人が、地下鉄電車内でサリンを撒布する実行役として、いずれも科学技術省次官で、近く正悟師になる予定のG、H、I、Jの名前を挙げたところ、これにKを加えるよう指示し、さらに、Eに対して、サリンの生成を命じた。

三  サリンの生成等

その後、Dは、上九一色村所在の教団施設に戻ると、「第六サティアン」にLを訪ね、同人に対し、「出来るだけ早くサリンを作ってくれ。地下鉄でサリンを使うんだ」などと言い、同人の隠し持っていたメチルホスホン酸ジフロライドを使ってサリンを生成するよう指示し、これを諒解したLは、その後、Eに対し、メチルホスホン酸ジフロライドを渡した。一方、Aは、Eに対し、「早く作れ、今日中に作れ」などと早急なサリン生成を指示し、これを受けて、Eは、Lらとともに、同月一九日ころ、上九一色村所在の「ジーヴァカ棟」実験室内でMの指導を受け、同日夜までに、五ないし六リットルのサリン混合液を生成した。

生成されたサリンは約三〇パーセントの濃度であり、ヘキサン等多くの不純物を含んだものであったが、これらを分留するには更に半日から一日を要するため、Eが、Aに対して指示を求めたところ、同人からは、混合液のまま使用するよう指示があった。

また、そのころ、Dから、サリンの入れ物として、厚手のナイロン・ポリエチレン袋(以下「ビニール袋」という。)二、三〇枚を渡されたLは、Eとともに、これを約二〇センチメートル四方の大きさにした上、シーラーと呼ばれる圧着機を使って袋を作り、これに生成したサリンを入れて、サリン入りの袋一一袋を作った。そして、Dの指示により、これらを更に同様の袋に入れて二重袋とし、箱に詰めて、「第六サティアン」内のAの部屋に持参した。

四  上九一色村教団施設におけるDと実行役との謀議状況

同月一八日未明、Dは、実行役とされたうちのH、K、I、Jの四名を「第六サティアン」三階の自室に呼び、同人らに対し、「これは」と言いながら、顔を上向きにして一旦視線を上げ、その後、「からだからね」と言って再び視線を元に戻す動作をして、Aの指示に基づくものであることを示しながら、近々教団に強制捜査が入りそうなので、その矛先を逸らすため、地下鉄にサリンを撒いてもらいたい、嫌なら断ってもいい旨述べ、Hら四名は、いずれもその場でこれを応諾した。

さらに、同日夕刻には、D、H、I、J、Bが、Dの居室に集まり、Bが用意していた地下鉄路線図等を見ながら、サリンを撒く路線や駅、時間等について検討し、警視庁に近い霞ヶ関駅を走行する帝都高速度交通営団地下鉄(以下「営団地下鉄」という。)日比谷線、同丸ノ内線、同千代田線の三路線の五方面電車内でサリンを撒布すること、乗降客の多い時間帯である同月二〇日午前八時に一斉に撒布することなどを決定した。その後、BとHは、実行役を乗車駅まで搬送し、撒布後に降車駅から逃走させるための自動車の運転手が必要であると考え、その旨を候補者の名前とともにDに話したところ、同人からは、Aの指示を仰ぐ旨の返答があった。

また、Dは、同月一八日夜、自室に、いま一人の実行役であるGを呼び、同人に対し、Bらと相談して地下鉄にサリンを撒くよう指示したところ、Gもこれを承諾し、その後、同人は、J、Iらと会って、Dの指示内容を確認した。

五  杉並アジトにおける謀議状況

その後、Dから東京へ出発するよう指示されたHは、同月一九日午前九時ころ、I、J、Gのほか、Hが運転手役にと考えて声をかけたN、O、Pとともに、二台の車に分乗して、東京都杉並区《番地省略》所在の民家(以下「杉並アジト」という。)に赴き、同所において、実行役の担当路線を検討し、Hが営団地下鉄日比谷線中目黒方面行き、Gが同線北千住方面行き、Iは同丸ノ内線池袋方面行き、Jが同線荻窪方面行き、Kが同千代田線代々木上原方面行きを担当することなどを決めた上、同日昼過ぎから、新宿で変装用の眼鏡、かつら、衣類等を購入し、その後、地下鉄駅の下見をするなどして、杉並アジトに戻った。

六  運転手役と実行役の組合せ決定と被告人の登場

同日昼ころ、D及びBが、「第六サティアン」内のAの部屋に赴き、実行役を送迎する自動車の運転手役の選任を願い出たところ、同人は、Q、N、R、被告人、Sの五名の名前を挙げるとともに、実行役と運転手役との組合せを、KとQ、HとN、GとS、JとR、Iと被告人とするように指示した。

その後、Dは、Bに対し、自分はKと上九一色村にいるメンバーに連絡を取るので、Bは東京に下見に行っているメンバーとSに右の組合せを伝え、実行役と運転手役を東京都渋谷区《番地省略》所在のB山ホームズ四〇九号室(以下「渋谷アジト」という。)に集めるよう指示し、これを受けてBは、杉並アジトに向かい、Hと会って、運転手役が決まったことを伝えるとともに、O及びP以外の者については、Hが案内して杉並アジトから渋谷アジトに移動するよう伝えた。また、Bは、杉並アジトにおり運転手役に指名されたSにも犯行計画を打ち明けるとともに、既に手配しておいた実行役送迎のための自動車を受け取りに行くよう指示した。

被告人は、同日正午過ぎころ、「第六サティアン」二階において、Dから運転手役五名のホーリーネームが記載されたメモを渡されて、R、Q、Nと一緒に七時までに渋谷に行くよう指示され、これをR及びQに伝えた後、連絡が取れなかったNを除き、同日午後四時ころ、R及びQと共に、上九一色村所在の教団施設を出発し、車で渋谷に向かった。

七  渋谷アジトでの謀議の下見

被告人らが渋谷に到着した際、QがBに電話連絡をしたところ、暫く時間を潰すことになり、同日午後八時ころ、渋谷アジトに到着した。同アジトには、N、H、S、G、J、Iが来ており、さらに、午後九時ころ、B、Kが順次到着し、実行役と運転手役の全員が集まったが、その場において、Bが、Aが決定した実行役と運転手役の組合せを全員に伝えた上、各ペアの担当路線と実行役の乗降駅、サリン撒布の実行時刻、出発予定時刻等について最終的な打合せが行われ、営団地下鉄日比谷線中目黒方面行きはHとNが、同線北千住方面行きはGとSが、同丸ノ内線池袋方面行きはIと被告人が、同線荻窪方面行きはJとRが、同千代田線代々木上原方面行きはKとQがそれぞれ担当すること、Hは仲御徒町駅から乗車して秋葉原駅で降車、Gは目黒駅から乗車して恵比寿駅で降車、Iは新宿駅から乗車して四ツ谷駅で降車、Jは池袋駅から乗車して御茶ノ水駅で降車、Kは新御茶ノ水駅から二つか三つ手前の駅から乗車して新御茶ノ水駅で降車すること、サリンを撒布する時刻は三月二〇日午前八時とすることとなった。さらに、サリンは降車の直前に撒布すること、車が交通渋滞に巻き込まれることもあるので、余裕を持って出発すること、地下鉄線各ホームの位置と警視庁等に面した出入り口に近い車両の位置等が確認された上、緊急の場合に備えて、全員にBの携帯電話の番号が教えられた。

その後、運転手役と実行役は、同日午後一〇時過ぎころ、各ペア毎にそれぞれの乗降駅の下見をするなどした。被告人は、Iとともに営団地下鉄丸ノ内線の新宿駅、四ツ谷駅に赴いて下見をしたが、その際、Iから、サリンは揮発しやすいので、待ち合わせ時間までに戻ってこなかった場合には迎えに来てもらいたい旨の依頼を受け、さらに、サリンは水で分解されるので水が必要である旨の説明を受けて、地下鉄電車内でサリンが撒布される計画であることを認識した。

下見終了後、被告人、H、S、Nは、Bの指示を受けて、同人が手配していた実行役の送迎用自動車を受け取りに向かい、同月二〇日午前零時三〇分ころ、再び渋谷アジトに戻った。

八  第七サティアンにおけるサリンの受取りと予行演習等

同日午前一時ころ、Dから渋谷アジトの実行役五名に対し、サリン引渡しのため、上九一色村所在の教団施設「第七サティアン」に戻るよう指示があり、同人らは、被告人及びNの運転する二台の車に分乗して、「第七サティアン」に向かった。

そのころ、BとDは、「第六サティアン」一階のAの居室で、同人に対し、実行役が戻ってくることを伝えていたが、Eがサリン入りのビニール袋一一袋が入った段ボールを持ってきたことから、Aは、箱の底に手を触れて瞑想し、サリンに宗教的な意味づけを与える「修法」という儀式を執り行った。

その後、Dは、Bに対し、サリン入りのビニール袋を突き破るために必要な傘の購入を指示し、同人からコンビニエンスストアで買い求めた透明のビニール傘七、八本が届けられると、Dは、Tに指示して、その先端をグラインダーで削らせて尖らせた。

実行役五名は、同日午前三時ころ、上九一色村に到着し、車を運転してきた被告人及びNを残したまま、「第七サティアン」に入ったが、そこで、Dから、袋を作ってサリンを入れたこと、サリンを撒布する方法として、先を尖らせた傘の先端でサリンの入った袋に穴を開けてサリンを発散させることなどの説明を受け、その場で、水の入ったビニール袋を傘の先端で突くなどの練習を繰り返した。サリン入りのビニール袋一一袋は、実行役一人につき二袋ずつ受け持つこととなったが、Hだけは本人の申し出もあり、三袋分担することになった。同人らは、Dからサリン入りビニール袋と傘を受け取り、さらに、Eから、実行役五名に対し、実行の二時間前に飲むようにとの指示の下に、サリン中毒の予防薬メスチノン各一錠が配られた。

その後、実行役五名は、再び被告人及びNが運転する二台の車に乗車して、上九一色村から渋谷アジトに戻り、同日午前五時ころ到着した。そして、実行役五名は、同所において、サリン入りビニール袋を取り分け、前日購入したスーツに着替えるなどして、実行の準備を整え、さらに、Kは、実行役五名に対し、サリンの解毒剤である硫酸アトロピン入りの注射器を渡した。

被告人については、遅くともこのころまでに、地下鉄の各路線にサリンを撒布し、不特定多数の乗客を殺害することについて、A、D、L、E、Bのほか、実行役五名及び他の運転手役四名らとの間で、順次共謀が成立した。

その後、実行役及び運転手役は、同日午前六時過ぎころ、それぞれの組合せごとに、渋谷アジトから出発し、罪となる事実記載の各犯行に及んだ。

(罪となる事実)

被告人は、教団代表者A1ことA並びに教団所属の故D、B、E、M、L、H、G、J、K、Iらと共謀の上、いずれも、東京都千代田区《番地省略》所在の営団地下鉄霞ヶ関駅に停車する営団地下鉄日比谷線、同千代田線及び同丸ノ内線の各電車内等にサリンを発散させて不特定多数の乗客等を殺害しようと企て、

一  Nの運転する自動車で送られたHが、平成七年三月二〇日午前八時ころ、東京都千代田区《番地省略》所在の営団地下鉄日比谷線秋葉原駅直前付近を走行中の北千住発中目黒行き電車内において、床に置いたサリン在中のナイロン・ポリエチレン袋三個を所携の先端を尖らせた傘で突き刺し、サリンを漏出気化させて同電車内等に発散させ、右秋葉原駅から同都中央区《番地省略》所在の同線築地駅に至る間の同電車内又は各停車駅構内において、別表1番号1ないし8記載のとおり、U子(当時三三歳)ほか七名をしてサリンガスを吸入させるなどし、よって、同日午前八時五分ころから平成八年六月一一日午前一〇時四〇分ころまでの間、同区《番地省略》所在の同線小伝馬町構内ほか七か所において、別表1番号1ないし7記載の右U子ほか六名をサリン中毒により、別表1番号8記載のV(当時五一歳)を同サリン中毒に起因する敗血症により、それぞれ死亡させて殺害するとともに、別表2記載のとおり、W(当時三五歳)ほか二名をしてサリンガスを吸入させるなどしたが、同人らに対し、同表加療等期間欄記載の各加療等日数を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたに止まり、殺害の目的を遂げなかった。

二  Sの運転する自動車で送られたGが、平成七年三月二〇日午前八時ころ、東京都渋谷区《番地省略》所在の営団地下鉄日比谷線恵比寿駅直前付近を走行中の中目黒発東武動物公園行き電車内において、床に置いたサリン在中のナイロン・ポリエチレン袋二個を所携の先端を尖らせた傘で突き刺し、サリンを漏出気化させて同電車内等に発散させ、右恵比寿駅から前記霞ヶ関駅に至る間の同電車内又は同都港区《番地省略》所在の同線神谷町駅構内において、別表1番号9記載のとおり、X(当時九二歳)をしてサリンガスを吸入させるなどし、よって、同日午前八時一〇分ころ、神谷町駅構内において、サリン中毒により同人を死亡させて殺害するとともに、別表3記載のとおり、Y(当時六一歳)ほか一名をしてサリンガスを吸入させるなどしたが、同人らに対し、同表加療等期間欄記載の各加療等日数を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたに止まり、殺害の目的を遂げなかった。

三  Rの運転する自動車で送られたJが、同月二〇日午前八時ころ、東京都文京区《番地省略》所在の営団地下鉄丸ノ内線御茶ノ水駅直前付近を走行中の池袋発荻窪行き電車内において、床に置いたサリン在中のナイロン・ポリエチレン袋二個を所携の先端を尖らせた傘で突き刺し、サリンを漏出気化させて同電車内等に発散させ、右御茶ノ水駅から同都中野区《番地省略》所在の同線中野坂上駅に至る間の同電車内又は右中野坂上駅構内において、別表1番号10記載のとおり、Z(当時五四歳)をしてサリンガスを吸入させるなどし、よって、同月二一日午前六時三五分ころ、同都新宿区《番地省略》所在の東京女子医科大学病院において、サリン中毒により同人を死亡させて殺害するとともに、別表4記載のとおり、B1子(当時三一歳)ほか二名をしてサリンガスを吸入させるなどしたが、同人らに対し、同表加療等期間欄記載の各加療等日数を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたに止まり、殺害の目的を遂げなかった。

四  Qの運転する自動車で送られたKが、同月二〇日午前八時ころ、東京都千代田区神田駿河台三丁目先所在の営団地下鉄千代田線新御茶ノ水駅直前付近を走行中の我孫子発代々木上原行き電車内において、床に置いたサリン在中のナイロン・ポリエチレン袋二個を所携の先端を尖らせた傘で突き刺し、サリンを漏出気化させて同電車内等に発散させ、右新御茶ノ水駅から同区《番地省略》所在の同線国会議事堂前駅に至る間の同電車内又は前記霞ヶ関駅構内において、別表1番号11及び12記載のとおり、C1(当時五〇歳)ほか一名をしてサリンガスを吸入させるなどし、よって、同日午前九時二三分ころから同月二一日午前四時四六分ころまでの間、同区《番地省略》所在の浩邦会日比谷病院ほか一か所において、サリン中毒により右C1ほか一名を死亡させて殺害するとともに、別表5記載のとおり、D1(当時二五歳)ほか一名をしてサリンガスを吸入させるなどしたが、同人らに対し、同表加療等期間欄記載の各加療等日数を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたに止まり、殺害の目的を遂げなかった。

五  被告人の運転する自動車で送られたIが、同月二〇日午前八時ころ、東京都新宿区《番地省略》所在の営団地下鉄丸ノ内線四ツ谷駅直前付近を走行中の荻窪発池袋行き電車内において、床に置いたサリン在中のナイロン・ポリエチレン袋二個を所携の先端を尖らせた傘で突き刺し、サリンを漏出気化させて同電車内等に発散させ、右四ツ谷駅から同線池袋駅で折り返した後前記霞ヶ関駅に至る間の同電車内において、別表6記載のとおり、E1(当時三七歳)ほか三名をしてサリンガスを吸入させるなどしたが、同人らに対し、同表加療等期間欄記載の各加療等日数を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたに止まり、殺害の目的を遂げなかった。

ものである。

第二C蔵匿事件

(犯行に至る経緯)

平成七年二月二八日、数名の者によって、帰宅途中の目黒公証役場事務長F1がレンタカーに押し込められ、拉致されるという逮捕監禁事件が発生したが、同事件については、当初から教団の関与が疑われ、三月中旬ころには、犯行に使用した車両が特定され、車内から事件関係者のものと思われる指紋が検出された旨の報道が相次いでなされた。一方、警視庁大崎警察署は教団信徒のCを同事件の犯人の一人と断定して逮捕状の発付を受け、同月二二日、同人を全国に指名手配した上、同事件の容疑で、全国の教団関係施設等を一斉捜索した。

一方、これに先立ち、Bは、右犯行が発覚すれば教団への深刻な打撃になるとして、右犯行に使用したレンタカーを借り出したCに対し、指紋除去の手術を受けさせようと考え、同月一八日未明、Kにその旨依頼し、同人らは、Bから指示を受けて現れたCに対し、「第六サティアン」において、両手の小指を除く八本の手指の指紋を消去する手術を行った後、同人を東京都中野区《番地省略》C川ビル二階所在の教団付属医院(AHI)に移した。

被告人は、地下鉄サリン事件を敢行後、上九一色村の教団施設に戻っていたが、同月二一日、教団施設に強制捜査が行われるとの情報を入手したQの指示により、同人、K及びRと共に、教団施設を脱出して東京都八王子市所在のカプセルホテル等に宿泊していたが、Q及びKは、同月二二日夜、テレビニュースでCが目黒公証役場事務長逮捕監禁事件の犯人として指名手配されたこと等を知り、教団付属医院にいるCを女装させ、遠方に連れ出して匿うことを謀議し、翌二三日朝被告人にその旨を伝えて了承を得た。

その後、Kらは、教団付属医院の事務員G1子に指示して逃走資金を振込送金させ、被告人らが、H1子、G1子らとともに、Cを女装させて教団付属病院から連れ出し、罪となる事実記載の犯行に及んだ。

(罪となる事実)

被告人は、教団所属のQ、K、H1子、G1子らと共謀の上、同じく教団所属のCが、先に東京都品川区《番地省略》付近路上で発生した目黒公証役場事務長逮捕監禁事件の犯人として逮捕状を発せられ、警察により指名手配されている者であることを知りながら、Cの逮捕を免れさせる目的で、平成七年三月二三日ころから同年四月八日ころまでの間、被告人らが借り受けた同都豊島区《番地省略》所在のD源ホテル客室、石川県金沢市《番地省略》所在のE田ホテル客室及び同県鳳至郡《番地省略》所在の貸別荘「A田荘」にCを宿泊させて匿い、あるいは、その間、右各場所等において、同人に変装用の婦人服、婦人用かつら及び婦人靴等を供与して変装させ、さらに、同人の顔面に整形手術を施してその容貌を変容させ、その両手の小指先端部の皮膚を切除して指紋を消失させるなどし、もって、犯人を蔵匿するとともに隠避させたものである。

(証拠の標目)《省略》

(争点についての判断)

以下においては、関係者の検察官又は警察官に対する各供述調書、公判手続更新前の各公判調書中の供述部分等についても、便宜、「供述」として説明し、認定事実の項の第一、第二の各罪となる事実を、順次、判示第一、第二と略称する。

第一地下鉄サリン事件について(以下「本件犯行」ともいう。)

被告人は、大要、「地下鉄内でIがサリンを撒布することは知らなかった。知っていたのは、何かを発生させ、地下鉄内に騒ぎを起こすことだけである。その結果、その何かが乗客の体に悪い影響を与えるであろうことも分かったが、人が死ぬとまでは思っていなかった。自分は、詳しいことは知らないまま、ただ指示された運転を実行しただけである」旨弁解し、弁護人は、被告人の右弁解に沿って、被告人は、Iが、予め用意しておいた新聞紙に包んだ物を傘の先で突き刺すなどして何らかの物質を発散させ、その結果地下鉄電車内に混乱をもたらすとともに、乗客らにめまいその他の身体的不調を与えることになるであろうことを認識しながら、同人の運転手を務めるなどしただけであり、被告人は、(一)Iが地下鉄電車内において発散させる物質が、サリンであることについては知らなかったし、サリンの毒性についても十分な知識がなかったのであるから、判示第一の五の事実については殺意がなく、(二)判示第一の一ないし四の各事実については、サリンを地下鉄の電車内に撒布するという謀議の場に居合わせた事実はあるが、一連の謀議の過程に照らし、謀議の具体的内容については知らなかったと認められるから、犯行を共謀したとはいえないとして、殺意及び共謀の存在を争い、結局、判示第一の五の事実について、傷害罪及び威力業務妨害罪(ないしはその幇助罪)が成立するに止まり、判示第一の一ないし四の各事実については無罪であると主張するので、以下、これらの点につき判断を示す。

一  犯行前後の被告人らの行動等

被告人及びIの捜査段階における殺意及び共謀に関する自白については、後記のとおり、弁護人が強くその任意性を争い、信用性もないと主張しているので、まず、これらを除き、被告人の公判における供述を中心に、犯行前後における被告人及び共犯者らの行動等を検討すると、以下の事実が認められる。

1 犯行前日の被告人の行動

(一) 上九一色村から渋谷アジトに至るまでの状況

被告人は、平成七年三月一九日正午過ぎころ、「第六サティアン」二階において、Dと会った。その際、Dは、被告人に対し、「七時に渋谷に行ってくれ」と言って、Q、N、R、S及び被告人のホーリーネームと連絡先の電話番号を記載したメモ用紙を渡した。被告人は、Q、Rにその旨連絡したが、Nとは連絡が取れなかったため、同日午後四時ころ、被告人の運転する自動車に、QとRが乗り込み、「第六サティアン」を出発して渋谷に向かった。

被告人らは、同日午後七時ころ、渋谷に到着したが、そこで、Qが、Bに電話したところ、午後八時ころまで時間が空いたため、青山にある教団東京総本部に立ち寄り、ミルクティなどを飲んだ後、同日午後八時ころ渋谷アジトに入った。

被告人は、東京に向かう途中、Rから「今日中に帰れるかな」と聞かれ、「今日中に帰れるんじゃないの」と答えており、事前に本件各犯行について情報を得るなどしていた形跡は認められないばかりか、渋谷アジトに赴くまでに、本件犯行について、何らかの指示等を受けたとも認められない。

(二) 渋谷アジトでの状況

渋谷アジトでは、同所に来ていたHらが、昼間に購入した洋服等を紙袋に入れて持って来ており、その洋服の直し、ズボンの裾上げ、かつらの試着などをしていた。

同日午後九時ころ、B、Kが順次渋谷アジトに到着し、実行役、運転手役の全員とBが揃ったが、Bが、Aが決定した実行役と運転手役の組合せを全員に伝え、引き続いて、各ペアの担当路線と実行役の乗降駅、サリン撒布の実行時刻、出発予定時刻等について最終的な打合せが行われ、営団地下鉄日比谷線中目黒方面行きはHとN、同線北千住方面行きはGとS、同丸ノ内線池袋方面行きはIと被告人、同線荻窪方面行きはJとR、同千代田線代々木上原方面行きはKとQがそれぞれ担当すること、Hは仲御徒町駅から乗車して秋葉原駅で降車、Gは目黒駅から乗車して恵比寿駅で降車、Iは新宿駅から乗車して四ツ谷駅で降車、Jは池袋駅から乗車して御茶ノ水駅で降車、Kは新御茶ノ水駅から二つか三つ手前の駅から乗車して新御茶ノ水駅で降車すること、サリンを撒布する日時は三月二〇日午前八時とすること等が決定され、サリンは降車の直前に撒布すること、車が交通渋滞に巻き込まれることもあるので、余裕を持って出発すること、地下鉄線各ホームの位置と警視庁に面した出入り口に近い車両の位置等が確認された。

被告人は、公判において、このときの記憶として、少なくとも、被告人とIが四ツ谷駅担当であること、あと、何線は誰とか、六時ころ出発する、詳しいことはペアを組む人から聞くようになどと言われたことを覚えているが、Bから直接指示されたわけではなく、詳しいことは後でIから聞けばよいと考え、空腹だったこともあって、食事のことに頭を奪われ、Bの発言については、真剣に聞かず、聞き流していたと供述している。

(三) 下見の状況

その後、被告人とIは、五分くらい打合せをして、同日午後一〇時前後ころ下見に出掛けたが、出発前、被告人が、Nに対し、誰とペアかと尋ねたところ、Hとペアであるとの答えがあったので、「最強のペアだね」と感想を述べた。他のメンバーも、そのころ、ほぼ一斉に下見に出掛けた。

被告人は、Iの指示により、営団地下鉄丸ノ内線新宿駅西口付近で同人を降ろし、同人が改札の方に歩いて行って料金表を眺めているのを見た後、再び同人を乗せて四ツ谷駅まで行き、同駅から同人を乗せて帰って欲しいと言われたので、翌日同人を拾う場所を探して決めた。同人は四ツ谷駅で下車して、出口を確認するために下見に行ったが、その際、被告人は、Iから、「倒れるかもしれないから、時間になっても戻ってこないときは迎えて来て欲しい。倒れていたら注射を打って欲しい」などと言われたため、被告人もその場合に備えて、車から降り、出口の数や改札口の状況等を確認した。

被告人は、四ツ谷駅には一〇分ほどいたが、Iから「本番のときと同じように、もう一回やってみる、今度は電車に乗ってみる」と言われたので、再び、新宿駅まで戻って同人を降ろし、四ツ谷駅に向かって待ち合わせ場所で停車していると、同人は、いきなりドアを開けて入ってきて、「新聞と水が必要なんですけど」と言い、被告人に対し、水は服に付いた物を洗い流すために必要であり、水をかけると分解されるなどと説明をした。

新聞紙が何故必要なのかについては別段説明がなかったものの、被告人は取り立てて尋ねるなどせず、水と新聞紙は自分で用意しなければならないと思いつつも、Iに対し、用意は明日の朝でいいかと尋ねただけであった。

また、このころ、被告人は、Iから、明日の朝八時に新宿駅から電車に乗るので、四ツ谷駅には一三分で着くから、それまでに四ツ谷駅に着いて待っていて欲しいと言われた。

その後、被告人とIは、渋谷アジトに戻った。

(四) 下見後の状況

他のメンバーが下見から戻ってきた後、被告人は、Bの指示により、Nらと一緒に、犯行に使用する車を受け取りに行った。被告人が、車を受け取って戻ってきた直後、渋谷アジトの部屋の中で、荷物が届いていないという話が出ていた。そのころ、DからHに対し、実行役は上九に戻って荷物を受け取れとの電話が入ったが、同人が、荷物が届いていないことについて、「話が違う。今からだと間に合わない」などと言ったので、被告人は、「自分が運転すれば、今からでも間に合う」旨申し出た。

同月二〇日午前一時過ぎころ、被告人、Nが運転する車二台に、実行役五名が分乗して、渋谷アジトを出発し、同日午前三時ころ、上九一色村に到着した。実行役五名は、いずれも「第七サティアン」に入って行き、三〇分くらい経って、Gがサリン入りビニール袋の入った鞄を持ち、Jが傘の束を持って出てきたので、被告人が、Jに対し、「どうするんですか」と言って、傘の使用法を尋ねたところ、同人からは、「突っついて破るんです」との答えがあった。さらに、被告人が、傘の先は丸くなっているのに破れるのかと重ねて尋ねたところ、Jは、「先を削ってあるから」と答えた。その後、被告人は、実行役を同乗させ、車を運転して渋谷アジトに引き返し、同日午前五時ころ到着した(なお、この点について、被告人は、傘を持って乗り込んできた人物を、Jではなく、Iだったと供述するが、記憶違いと認められる)。

2 犯行当日の被告人の行動

(一) 出発前の状況

渋谷アジトに到着後、被告人が部屋の中で横になっていたところ、実行役五名は、それぞれ、鞄に入れられて上九一色村から持ってきた、薄茶色の液体入りの透明なビニール袋をHから受け取っていたが、同人が分担することになった一袋については、内袋が破れており、同人が「これは漏れそうだ。分離している。危ない危ない」などと言っていた。

(二) 出発後の状況

被告人は、渋谷アジトで少し眠った後、同日午前六時過ぎころ、近くの宮下公園に駐車させておいたベンツにIを乗せて、新宿駅に向かい、途中の「C山」で二リットル入りの水二本とスポーツ新聞を購入したが、Iから、スポーツ新聞では駄目だと言われたため、同日午前六時四〇分ころ、途中で見かけた新聞配達の女性から日本経済新聞を分けてもらった。被告人は、新宿駅に午前七時に着くようにと言われていたので、度々、時計を見て、時間を気にしながら走行していたが、新聞を入手した後、時間が余ったので、近くのビルの横に車を停め、時間を潰すことにした。

その間、Iは、後部座席で、ガサガサと音を立てながらビニール袋を新聞紙で包み、その後、被告人に対し、「ここに注射器が入っていますから」と言いながら、コートの内ポケットから注射器を取り出して見せ、再びしまった。被告人が、Iに対し、「心境はどうですか」と尋ねたところ、「緊張しています」との答えであったので、「オロナミンCでも買って飲んだらサラリーマンに見えますよ」などと言った。

なお、この点に関し、被告人は、Iがビニール袋を新関紙で包んでいる間はスポーツ新聞を読んでおり、同人が新聞紙をガサガサさせながら何か作業をしている様子であったが、どのような作業をしていたかは見ていないと述べている。

(三) I降車前後の状況

被告人は、同日午前六時五五分ころ、再び車を発進させ、同日午前七時過ぎころ、新宿駅西口でIを降ろして、四ツ谷駅方面に向かい、待ち合わせ場所で待機していたが、同人が約束の同日午前八時一五分ころになっても現われなかったため、心配になり、一〇分ほどして車から降り、四ツ谷駅の改札口に向かって歩き出したところ、階段を下りる直前に同人が出てきたので、二人で車を停めてある場所まで戻った。

(四) 犯行後の状況

被告人は、Iを車に乗せ、「どうでしたか」と尋ねたところ、同人は、「うまくいきました」などと答えた。被告人が、少し車を走らせた後で、Iに対し、「傘を水で洗った方がいいんじゃないですか」と促したところ、同人は、「そうですね」と答え、被告人が車を止め、Iが後部座席のドアを開けて、傘の先や同人の靴に水を掛けて洗い流した。すると、被告人は、突然、大きくて重い人に胸に乗りかかられたような、呼吸ができないくらいの息苦しさに襲われたため、車の窓を全開にした。すると、息苦しさは収まったが、Iには、息苦しくなったことについて特に話さなかった。

渋谷アジトには、実行役及び運転手役が相前後して帰ってきたが、J、G、Iらにはサリン中毒の症状が現われ、それぞれ、Kから注射を打ってもらっており、とりわけJの症状は重かった。

なお、被告人は、公判において、Hは自分で臀部に注射していた、部屋でSが目が暗くなったと言ったのを聞いて、自分も目が「ぼんやり暗い」状態であることを認識したと述べている。

そのころ、渋谷アジトの部屋にある小型テレビから、地下鉄駅構内で多数の者が倒れて病院に運ばれている旨のニュースが報じられていた。

その後、被告人は、Bに指示されて、借り受けた送迎用車両を返しに行き、渋谷アジトの部屋のゴミを片付けた。そして、被告人は、I、Gを同乗させ、RがJを同乗させて、車で上九一色村に帰った。被告人は、上九一色村で、Qから、マントラを唱えるようにと言われた。

二  サリンの毒性

関係証拠によれば、サリンは、兵器用に開発された神経ガスで、人間の大量殺戮を目的とする化学兵器であり、常温では、無色無臭の液体であるが、揮発性があり、ひとたび体内に吸収されると、筋肉の収縮活動を司るアセチルコリンを加水分解するコリンエステラーゼの酵素活性を阻害し、その結果、アセチルコリンを介した情報伝達が阻害されて中毒症状が発症し、死に至るもので、経気道吸収によって人体に摂取された場合の半数致死量が、一分間の被曝を前提として、一立方メートルあたり一〇〇ミリグラムであり、極めて殺傷力が強い物質であることが認められる。

三  殺意に関する判断

1 そこで、被告人の殺意の有無について検討することとするが、前記認定事実のうち、殺意に関する犯行前後の被告人の行動、Iら共犯者の被告人に対する対応を取り上げてみると、以下のとおりである。

(一) 三月一九日午後九時過ぎころ、Bの外、実行役と運転手役の全員が渋谷アジトに集結し、Bが実行役と運転手役の組合せを指示し、その後、担当路線、乗降駅、乗車位置、乗車時間等について種々の検討がなされた。

(二) その後、被告人は、Iとともに、新宿駅、四ツ谷駅に下見に行っているが、その際、Iから、「倒れるかもしれないから、時間になっても戻ってこないときは迎えに来て欲しい。倒れていたら注射を打って欲しい」、「新聞と水が必要である。水を掛けると分解される」などと言われている。これに対し、被告人は、Iが倒れる理由や水を掛けると分解される意味等について、同人に何らの説明も求めていない。かえって、被告人は、Iとともに四ツ谷駅で車から降り、改札口及び同駅出入口付近の確認を行うなど、Iが実際に倒れて四ツ谷駅から出て来られなくなる事態を想定した行動をとっている。

(三) 同月二〇日未明、被告人が実行役らと上九一色村から渋谷アジトに戻った後、Hが、薄茶色の液体が入った透明なビニール袋を実行役に取り分け、そのうちの一袋について、「これは漏れそうだ。危ない、危ない」などと話しているのを目の当たりにしているが、被告人は、ビニール袋に入ったものが何であるかとか、何故、危険であるかなどについて、誰にも尋ねた形跡がない。

(四) 被告人は、同日、新宿に向かう車中で、Iから、改めて、コートの内ポケットに入っている注射器を示されたが、別段の質問もせず、その後、Iが新宿駅で降りる直前に、同人に対し、「緊張していますか」などと尋ねている。

(五) 被告人は、その後、四ツ谷駅付近の待ち合わせ場所で待機中、約束の時刻を過ぎてもIが現れないため心配になり、四ツ谷駅まで赴いている。

(六) さらに、Iが帰ってきて、車に乗り込んだ後、被告人からIに対し、「どうでしたか」などと首尾を尋ね、さらに、車を発進させた後、水を掛けるように促している。

(七) その直後、被告人は突然の息苦しさに襲われ、すぐに車の窓を全開するなどしているが、Iに対し、苦しくなった旨話したり、その理由について尋ねるなど全くしていない。

(八) 被告人が、渋谷アジトに帰った際、多くの者が体調不良を訴え、Jが具合が悪くて治療を受けに行っていることも聞かされており、さらに、Iらが実際にKから注射を打たれているところやHが自ら臀部に注射をしている姿を見ているにも拘らず、これらをごく自然に受容し、何故そのような状況に陥ったのかについて説明を求めた形跡はない。

(九) 被告人は、本件犯行後、上九一色村の教団施設に戻り、その後、判示第二の犯行に至る経緯に認定したとおり、東京都八王子市所在のホテルに宿泊しているが、その間、本件犯行の結果がどのようになったか、関心を示した形跡がない。

2 検討

(一) 以上のとおりであるが、まず、前記のとおり認定した、犯行前の渋谷アジトにおける謀議、その後のIら実行役の言動等に照らすと、同人らが地下鉄の電車内で行おうとしていた行為は、実行役自身ですら倒れてしまう虞のある極めて危険性の高いものであったことは、その場にいた誰もが容易に認識できるものである。

これに対し、被告人は、せいぜい地下鉄電車内の乗客らにめまいその他の身体的不調を与えることになるという程度の認識であったとするが、それ自体不自然といわなければならない。かえって、被告人が、Iから倒れることがあるかもしれない、その際には、迎えに来て欲しい旨聞かされたにもかかわらず、何らの説明を求めることなく、その場合に備え四ツ谷駅改札口の下見に同道していること、犯行後約束の時間に現れない同人を捜しに四ツ谷駅に赴いていること、あるいは、首尾を聞いた後に、水で洗い流すよう勧めていること等の各事実は、被告人において、その日に撒布される物質が、人の生命に重大な危険性を及ぼす性質のものであることを、前もって知っていると考えて初めて合理的に説明することができるものである。特に、水で洗い流すよう勧めていることが突然息苦しさを感じて車の窓を全開していること、渋谷アジトに戻った後に、Sが目の前が暗くなったということを聞いて、自分も目が「ぼんやり暗い」状態であることを認識しながら誰に対しても理由や原因を聞いていないこと、実行役が注射をされるなど治療していることに対しても何らの質問もせず、自然に事態を受け入れていること、さらに、犯行後にも渋谷アジトでのテレビ以外にどのような結果が生じているか関心を示した形跡がないこと等の事実は、被告人がサリンの毒性や特性を知っており、さらには、サリンが使用されることを認識していたのではないかと強く推認させるものである。

(二) これに対し、被告人は、犯行前後の自身の行動に関連して、犯行直前、Iに、「心境はどうですか」と聞いたときの様子につき、「Iがなにかやろうとしているときに、黙って何も言わないから聞いたのであるが、暇つぶし、興味本位から聞いた」、「興味本位というか、ただ、聞いてみたかっただけというか、特に深い意味はない」などと供述し、また、犯行に向かったIを車中で待つ際の様子についても、「Iが新宿駅で降りてから、四谷の公園で時間を潰していたが、その時は、殆ど緊張していなかった。Iが倒れたらどうしようかと考えたことは考えたが、人のことなので、あんまり思わなかった。どうしようもないときは仕方がないと思った」などと述べて、Iの行動についてことさらに関心がなかったかのような印象を与える供述をしている。しかしながら、実際には、Iが待ち合わせ時間を過ぎても帰って来なかったため、心配になって、同人を迎えに行ったことは前記のとおりであり、戻ってきた同人に対し、すぐに「どうでしたか」と尋ねるなどしているのであって、かえって、Iの行動に十分な関心を有していたことが窺われる。

さらに、被告人は、前記のとおり、地下鉄電車内でIが行おうとしている行動について、「何かを発生させ、地下鉄内に騒ぎを起こすことだけしか知らなかった。その結果、何かが乗客の体に悪い影響を与えるであろうことも分かった」という程度の供述をするに止まっているが、これらの供述は、Iからは「倒れるかもしれない。注射をしてくれ」などと依頼されており、被告人自身も「Iがどうしようもないときは仕方ないと思った」などと同人が重篤な状態に陥ることを認識していたとしか受け取れない供述をしているところと齟齬するものであるし、「その後、地下鉄の乗客がどうなると思っていたのか」との質問に対して、「けが人が出るとまではちょっと思っていなかった」、「軽傷というか普通に歩ける状態、まあ、よく分からない」などと曖昧な供述を繰り返し、更に追及されると、「(Iが倒れたら連れてきて欲しいと言っていたのは)Iが自分のやったことで倒れるのか、持病が原因で倒れるのかまでは、ちょっと分からなかった」「(持病が原因かもしれないと述べたのは)一応可能性として、ただ言っただけです」などと、その場を糊塗するとしか評価できない供述に終始しているのである。

このように、被告人の公判供述は、誠にあいまいである上、場当たり的な内容も多いのであって、Iの行動及びその危険性等の極めて重要な事実についても、供述内容が誠に不合理であることは、サリンが撒布されることについての認識、殺意、さらには共謀に関する被告人の供述全体の信用性を低下させるものといわざる得ない。

そして、被告人の公判供述が、被告人自身の行動についても合理的に説明できていない上、重要な点において著しくあいまい、かつ、不自然、不合理であって、信用できないといわざるを得ないものであることは、被告人が犯行時に撒布される物質が、人の生命に重大な危険を及ぼす性質のものであることを知っていたこと、さらにはそれがサリンであることを認識していた可能性が高いことを更に強く推認させるものであるとしなければならない。

なお、被告人は、犯行後、渋谷アジトにおいて、テレビのニュースで死者が出ていることを知り、一人死んでしまったと口にしたところ、Bがテレビの方に向かって来て、怒った口調で、もう終わりと言って、テレビを取り上げた旨供述し、弁護人は、この事実をもって、被告人が人を殺すことになると信じていなかった証左である旨主張する。しかしながら、仮にそのような事実があったとすれば、極めて印象深い出来事であって、Bらにおいても記憶しているのが自然であるのに、同人らは、いずれも、渋谷アジトにおいて被告人がそのようなことを述べたとは供述しておらず、Bらが被告人に不利益な方向に虚偽の供述をする理由も必要性も見当たらないことからすれば、被告人の右供述はにわかに信用することができない。

(三)(1) また、弁護人は、教団内では、自分たちが一体何をしようとしているかについて興味を抱くこと自体許されないことであり、不安を感じていることをほかの出家信者に悟られることは、何事にも心を動かされないことを旨として修行している出家信者にとっては、恥ずべきことであるから、その旨訴えることもないこと、Iのステージは被告人より上であったから、被告人がIに尋ねることは憚られたこと、Iと被告人とはもともと親しい関係でもなかったことから、被告人が、Iに対し、地下鉄で撒布する物質について確認したり、問い質したりしなかったとしても何ら不自然ではない旨主張する。

しかし、被告人が、Iらの話を聞き、単に指示された事柄を実行していただけであれば格別、前記のとおり、被告人は、三月一九日未明サリンの受け渡しで上九一色村の教団施設に赴いた際、傘の束を車内に持ち込んだJに対し、「どうするんですか」などと傘の使用方法について質問し、「突いて破るんです」との答えを受けながら、傘の先は丸くなっているのに破れるのかと重ねて聞いているほか、Iに対しても、犯行直前に、その心境を尋ね、緊張しているとみるや、オロナミンCを飲むように勧めて、緊張を和らげていること、さらに、犯行後にも、「どうでしたか」と犯行の首尾について尋ね、あるいは水を掛けたらどうかなどと勧めていること等の犯行前後の被告人の言動に鑑みると、被告人から、Iを初めとする共犯者らに対し、犯行に関して質問できない状況であったとは到底認め難いというべきである。

(2) さらに、被告人は、教団にいると、思考停止の状態になり、思考が発展しないため、犯行については分からなかったなどと供述し、弁護人は、被告人はマインドコントロールの状態にあったから、何も考えることなく前記のような行為に出たとしても不自然ではないなどとも主張している。

しかしながら、本件犯行に関する被告人の各行動は、全体として、犯罪実現に向けられたもので、合理的かつ積極的であると評価すべきものである。また、前記のとおり、被告人が、JやIらに対し、犯行に関する事柄について自ら話し掛けていることなどは、思考停止とは相容れない言動であり、結局、被告人及び弁護人のこれらの主張に左袒することはできないとしなければならない。

2 サリンの認識等に関するI及び被告人の各検察官調書の検討

次に、更に進んで、被告人にサリンという言葉を使って説明したとの供述を含むIの検察官調書及びサリンの認識さらには共謀についての自白を含む被告人の検察官調書の任意性、信用性について判断する。

(一) I及び被告人の検察官調書の内容

(1) Iの検察官調書

Iは、被告人との会話において、サリンという言葉を用いたことを明言して、大要、次のとおり供述している。

「私は、下見を終えて、四ツ谷駅から車を発車させた直後か、四ツ谷駅に来たとき、被告人に対して、明日の朝は、八時ころに四ツ谷駅に着くように、新宿駅から地下鉄に乗りますので、そのころに四ツ谷駅に迎えに来て下さい、サリンは揮発し易いので、私がもしも時間までに来なかったら、駅まで見に来て、引きずってでも車に連れて来て下さいという意味のことを言った。

下見の時か、当日、日本車に乗ったときか、ベンツに乗って直ぐのいずれかに、サリンは水で洗い流せば大丈夫ですので、水を用意する必要がありますと言った。また、当日に日本車に乗ったときか、ベンツに乗って直ぐのいずれかに、被告人に、新聞が必要ですと言っておいた。」

(2) 被告人の検察官調書

一方、被告人は、検察官調書において、サリンの認識等について、大要、次のとおり供述している。

「渋谷のアジトに入った時は、Hらがズボンやワイシャツなどを試着していたので、予想通り何か悪いことをするために自分たちがこの場所に集まったことが分かったが、その時は、どのような悪いことをさせられるかは全く分からなかった。午後九時ころ、Bが部屋に入ってきて、被告人らに、被告人とIは、四ツ谷駅、六時ころに起きて出掛ける、問題が起きたら野方の病院の方に連れていくかこのマンションに連れてくるかどうしようかなどと、組合せや出発時間などについて話したので、地下鉄の中で何か危険なことをやることは分かったが、Bは、『サリン』という言葉は使っていなかったので、これからどのような危険なことをするのか分からなかった。

その後、Iと下見に行ったが、四ツ谷駅で車を止めた際、Iが『出口を見に行きましょうか。サリンは揮発性が強いから私が帰って来れないかも分かりません。その時は迎えに来てください。私が倒れたら注射を打ってください』と言ってきた。これを聞いて初めて、I、自分を含めたマンションに集まった者が、地下鉄内にサリンを撒くために集まったことが分かった。

事件の時は、A等の指示は絶対に正しいことと信じて疑わなかったので、たくさんの人を殺すため、地下鉄内にサリンを撒くことも悪いことをするという気持ちはなく、抵抗はなかった。どのような理由で、地下鉄内でサリンを撒かせようとしたかは分からない。Iから、地下鉄内にサリンを撒く話を聞いた際もどういう理由でこんなことをするんだろうと思った。

Iから話を聞いて、同人がサリン中毒で倒れた場合には、助けに行かなければならないと思い、地下鉄丸ノ内線四ツ谷駅にIと二人で降り、出入り口を確認したところ、出入り口は一つしかなかった。さらに、もう一度新宿駅から四ツ谷駅まで下見をし、渋谷のマンションを目指して車を発進させた際、Iが、『サリンは水で分解されるから水は必要です。水と新聞が必要なんですが、いつ買いましょうか』と言ってきた。自分は、それを聞いて、サリンが服などに付いた場合、水をかけて洗い流すと危険性が小さくなると理解したが、新聞は何のために買うのか分からなかった。

上九一色村に行ってサリンを受け取り、帰ってきた後、Hが、部屋の中で、素手でサリンの入ったビニール袋を取り出しながら、『この袋は漏れそうな感じだなあ。これ茶色だなあ。危ない危ない』と言っていた。サリンという物は、これまで名前しか聞いたことがなく、興味があったので、見ていると、透明の物と茶色の物があった。サリンは揮発性が強い、傘で突っついて破ると聞いていたとおり、サリンがビニール袋に入っている液体だと分かったので、傘の先でビニール袋を突いて破ると、中に入っているサリンが外に漏れ出して蒸発し、毒ガスが発生することが分かった。」

(二) I及び被告人の各検察官調書の任意性

ところで、弁護人は、Iも被告人も、取調べに際して、警察官らから暴行、傷害の拷問を受けており、その影響の残る状況下で作成された各検察官調書は、任意性がなく、違法収集証拠として排除されるべきであると主張する。

(1) Iの検察官調書の任意性

(ア) 弁護人の具体的な主張は、Iは、取調べを担当したI1警察官に初日から大声で威迫され、定規等を胸、肩、頭部等に当てられたり、丸めた新聞紙で叩かれたりし、三日目の五月一八日には、胸倉を掴まれて持ち上げられ、手拳で口の辺りを殴打されて、歯を破折する等の深刻な傷害を負い、治療も受けられず、痛みが残ったまま、その後の検察官による取調べを受けたのであるから、Iの検察官調書には、任意性も信用性もないというものである。

そして、Iは、公判廷及び裁判官面前調書(甲B一二〇一二、一二〇一五ないし一二〇一七)において、五月一八日の取調べの際に、I1警察官から、突然耳を掴まれて上に引きずり上げられ、手拳で顎や口の辺りを殴られた、がつがつと二回衝撃があったので、多分手拳と肘が当たったのではないかと思う、下唇の辺りから血が溢れ出て、ごくごくと飲んだ旨弁護人の主張に沿う供述をし、これに対し、I1警察官及び同人と一緒に主として取調べを担当したA2警察官(以下「A2警察官」という。)は、いずれも、公判廷において、Iに対して暴行を加えたことは一切なく、その日にIに眠るような様子が見られたので、I1警察官が立ち上がらせようとして、左手にIの右肩に上げたところ、同人がびっくりしたような感じで振り向いたため、口付近に左手が当たり、眼鏡が一、二メートル飛んで床に落ちた、Iの唇にうっすらと血が滲んできて、机の上に一滴、二滴落ちた記憶はある旨供述している。

(イ) そこで、検討するに、I1警察官らが供述する経緯で眼鏡が一、二メートルも飛ぶというのは些か諒解し難いものである。また、同人らは、直後に病院に行くかなどとIに聞いたことは認めているところ、I1警察官らの供述する経緯で生じた程度のものであるならば、口を開けさせて確認すれば足りる筈であり、そのようなこともせずに病院に行くかと問うこと自体も不自然である。これらの事実は、同人らの供述以上に、Iに対する打撃ないし同人の怪我の程度が大きかったことを窺わせるものであって、このことは引き続いて取調べを行ったB2検事(以下「B2検事」という。)が、一見して左下唇が腫れていたと判ったと供述していることにも符合するものである。そして、I1警察官はその直後にB2検事から「殴っちゃ駄目じゃないか」と注意され、その後二日間は取調べを控えさせられたこと、他方で、I1警察官らは、Iが下唇を噛むなどする癖があり、出血も自傷行為であったかのような供述をしているところ、I1警察官らの供述する噛み方では下唇の表側に傷ができるはずであるから、これらの供述は措信しがたいといわざるを得ないことなどを総合すると、I1警察官が、Iに対し、その顔面を手拳で殴打する暴行を加えたという疑いを払拭することができないというべきである。

しかしながら、Iの検察官調書を録取したB2検事は、公判廷において、取調べの際、Iの下唇が腫れていたことに気付いたので、その理由についてIとI1警察官等に対して説明を求め、同人らをIの取調べから二日間はずすなどの措置を講じたこと、その後の取調べの際に、Iが、あの件以来、警察の取調べは非常に紳士的である旨述べたこと、Iは、当初、検察官に対しても否認していたが、五月二八日、Jが全面自供したことを告げられたことをきっかけに、同人が無間地獄に落ちてしまうとして大粒の涙を流し、私の気持ちは決まりました旨述べて、自白するに至ったものであること、起訴後の取調べの際に、Iが、A2らに対してもいつかちゃんと話さなければならないと思っていたが、警察官がかわってしまったので、申し訳ないことをした旨述べたこと、被告人の自白に基づき、下見の際の被告人との車中の会話についてIに尋ねたところ、同人も車内でサリンという言葉を用いた旨述べるに至ったこと等を供述しているが、これらの供述は、いずれも具体的かつ合理的なもので、I及び被告人の各供述経過やA2警察官らの後にIを取り調べたC2警察官の公判供述とも符合するなど十分信用することができ、これらによれば、Iが、取調べ担当警察官から暴行を受けたとしても、検察官に対する供述は、その暴行による影響下でなされたものとは認められず、結論として、Iの検察官調書は、任意に作成されたものと認めるのが相当である。

(2) 被告人の検察官調書の任意性について

(ア) 一方、被告人は、捜査段階の取調べ状況について、大要、以下のとおり供述する。

「取調べが始まって二、三日後、D2という警察官(D2警察官。以下「D2警察官」という。)に、左の頬を椅子から落ちそうになるほど強く殴られ、二、三日首の痛みが残った。地下鉄サリン事件の取調べをされている時、調書を一回訂正してもらったが、E2(E2警察官。以下「E2警察官」という。)が怒って足を蹴ったので、それ以来、事実と違う旨主張するのをやめた。また、取調室から留置場の房に戻る時、E2警察官からロッカーに急に強く押されて、ぶつけられた。自分と同じ時期にJ1という被疑者が勾留されていたが、完全黙秘であるということで警察から暴力をふるわれて、悲鳴を上げているのを聞いた。

抵抗するとまた殴られると思って、自分の思っていることはもう言えない状況になって、調書が作成された。取調べはほぼ毎日、大体、午前八時から夜の一二時近くまであり、疲れ切って、早く起訴になって欲しいと思うようになった。警察での取調べでは、今から言うからそのとおりに答えればいいなどと言われ、大体は、D2警察官が持ってきた地下鉄サリン事件について記載されたメモや他の人の調書などに基づいて、警察官が話の流れを描いており、それに自分の関係した部分が付け加えられていったという感じであった。検察庁での取調べで、これの影響があったかどうかはよく分からない。」

弁護人は、被告人の右弁解に沿って、被告人は、暴行を受けるのをおそれるあまり、警察官の言いなりに調書を作ったのであり、これが、検察官の調書にも影響を与えていることは明らかであるから、検察官調書は、違法収集証拠として、証拠採用されるべきではない旨主張する。

(イ) 検討

① D2警察官は、公判廷において、四月二〇日の四谷警察署での初めての取調べにおいて、被告人が横を向いて座り、姿勢を正さないので、同警察官が、両肩に手を添えて正面を向かせた以外には、被告人の身体に手を触れたことはない旨供述し、立会警察官であるE2警察官も、公判廷において、同趣旨の供述をするほか、同警察官自身が被告人の足を蹴ったことはない旨明言している。そして、両警察官の公判廷における各供述によれば、取調べ室においては、被告人とD2警察官が事務机を挟んで対峙し、E2警察官がその脇に椅子を置いて座っていたが、右事務机は、D2警察官の座っている正面以外の三面は、いずれも遮蔽板で覆われており、被告人やE2警察官が机の下に足を入れることはできない構造になっていたことが認められ、被告人の述べる態様の暴行には符合しないもののように思われる。

さらに、被告人は、公判廷において、D2警察官から暴行を受けたと主張する日から数日後の同月三〇日に教団のF弁護士と接見したが、暴行の事実については述べず、六月四日、同月二九日、七月一三日に、現在の弁護人であるF2弁護人と接見し、同弁護人から暴行があったかどうかを明示的に聞かれた際にも、「特に暴行はありません」と答えた旨供述している。また、D2警察官に対する証人尋問の際、当裁判所から再三にわたり同証人の暴行に関する発問を促されても、「余り本人を前にして言いたくないという感じはありますけれども」、「聞きづらいんですけれども」などと述べて結局質問を忌避している。これらの被告人の行動態度は、警察官から暴行を受けたとする者の行動態度としては不自然なものであり、さらに、被告人が、五月六日の段階で、検察官から、三月二一日の被告人の行動を問われて、「答えられません」「喋るということは、自分の死を意味するね」「絶対に言えないね」などと述べて、頑なに供述を拒んでいること(乙B一〇)などの事情に照らすと、結論として、取調べ担当警察官らから暴行を加えられたとする被告人の供述には、多大の疑問があり、たやすく信用することができないといわざるを得ない。

② 次に、被告人の検察官調書の内容を検討すると、被告人の検察官調書(乙B一五)には、「渋谷アジトでBがサリンという言葉を使った旨警察官調書に記載されているが、そのようなことはない」、また、「警察官調書にあるようにサリンの撒き役と運転手役及び担当路線についてはっきり記憶しているわけではない」などと、警察官調書と検察官調書との内容の相違が明確にされた記載がある。渋谷アジトでサリンという言葉が用いられたか、各人の役割及び担当路線について記憶しているかどうかということは、殺意及び共謀の認定に関して重要な事柄であるが、この検察官調書の供述記載は、被告人にとって、より有利な内容である上、渋谷アジトでサリンという言葉が用いられたか否かについては、前日に録取されたIの調書とも異なった内容である。そのほかにも、地下鉄にサリンを撒布する目的に関しても、検察官の問いに対して、分からない旨答えていること、サリンの認識に関して、当初はサリンであることは知らなかった旨供述していること、渋谷アジトではサリンではなく、「荷物」という言葉が用いられていた旨供述していることなど、検察官調書は、被告人にとって有利な弁解を含む内容となっている。

加えて、右検察官調書には、下見に行った後、Q、Rとともに車を取りに行った帰途、渋谷アジトの近くのコンビニエンスストアで食べものを買って食べ、その際、大好物のカルビ弁当をQに先を越されたこと、その後、上九一色村の教団施設への行き来の間に、後で飲もうと取っておいた「充実野菜」という飲み物をSに飲まれて憤慨したこと、サリンを上九一色村に取りに行った際に、車内に傘の束を持ち込んだIかJにその使用法について尋ねたこと(Jはこの点について覚えていない旨述べている。)などが記載されているが、これらは被告人が供述する以外には容易に知り得ない事実である。また、右検察官調書には、下見及び実行前後の被告人とIとの間で交わされた会話についても録取されているが、これらはI及び被告人しか知り得ないものであるところ、Iは五月二八日までは、地下鉄サリン事件については黙秘していたのであるから、被告人の供述なしに検察官が創作することはできないものである。

さらに、撒布される物質がサリンであると認識していたという点を除いては、右の供述記載は、被告人の公判供述とも概ね一致するものである。

以上からすると、被告人の検察官に対する供述は、基本的に自発的になされたと見るべきであり、弁護人の主張するように、言いたいことが言えない状況で、自分の記憶に基づかないで、言われたままに供述していたというものではないことが明らかである。

③ さらに、被告人は、四月二二日ころにD2警察官から平手打ちや襟締めの暴行を加えられたというのであるが、D2警察官及びE2警察官の当公判廷における各供述によれば、D2警察官が地下鉄サリン事件について被告人から初めて事情聴取したのは、五月八日のことと認められ、この間、二週間以上の時間的間隔があること、被告人が、弁護人から、どのような取調べを受けた時にどのような暴行を受けたのか、できるだけ具体的に思い出すように促されても、結局思い起こすことができなかったこと、被告人が、公判廷において、検察官から、警察官による暴行があったとして、その暴行と被告人の検察官に対する調書との間に何か関係があるのかと尋ねられても、「ちょっとよく分からないです」と答えていること、被告人は、地下鉄サリン事件について取調べを受けた検察官に対しては、恐怖感はあまりなく、供述調書の訂正を申し立てたのは、三月一九日に渋谷アジトに行く前に、青山総本部の地下にある喫茶店に立ち寄ったことが抜けていたので、その点を追加してもらったときだけであると述べていること、被告人が、地下鉄サリン事件に被告人が関わっていることを警察官に話した直後ころ、「被害に遭った人の苦しみを自分でも理解できるように」と考えて四日半くらい断食した旨供述していることなどの事情に鑑みると、仮に、被告人の主張するような暴行があったとしても、その暴行と自白内容との間には因果関係を認めることができない。

(ウ) 結論

以上の次第で、被告人の検察官調書については、任意性があることが明らかである。

(三) I及び被告人の各検察官調書の信用性

(1) そこで、I及び被告人の各検察官調書の信用性について検討すると、これらの調書は、いずれも、その内容が具体的かつ詳細で、自然なものであり、下見及び犯行前後の被告人とIの行動、車中で交わされた会話の内容等重要な点において、相互に符合している上、サリンという言葉が使われた点を除いては、被告人の公判供述とも概ね一致している。

もとより、細部においては、下見の際に、Iが注射を打ってくれと述べたかどうか、倒れたときに引きずってでもと表現したかどうか、さらには、Iがサリンという言葉を使った時期等について、必ずしも一致していないが、後に述べるI及び被告人の供述態度に照らすと、これらはむしろ、それぞれが自己の記憶に基づいて供述した結果と認められるのであるから、その信用性を高める方向に働くものである。

(2) Iの検察官調書を見ると、同人は、「不正確な記憶に基いて図面を書くのは、信条に反するので勘弁して欲しい」、「車内でサリンの入った袋を準備しているときの様子について、ベンツ内でサリンの外袋を切り取ったとまでは断言できないことをご承知下さい」などと述べて、記憶の明確でない事柄については、その旨留保して供述していることが認められるが、他方で、犯行が近付くに連れて、緊張感が高まっていき、実行直前になって実行を逡巡している様子等が具体的に述べられているのであり、大量殺戮行為をまさにこれから行おうとしている者の切迫した心情を具体的かつ詳細に吐露しており、その内容は迫真的で臨場感に富むものであって、基本的にその信用性は高いというべきである。

争点である、サリンという言葉を被告人に対して使用したという部分の供述内容を具体的にみると、「私は、被告人に、明日の朝は、八時ころに四ツ谷駅に着くように、新宿駅から地下鉄に乗りますので、そのころに四ツ谷駅に迎えに来て下さい。サリンは揮発し易いので、私がもしも時間までに来なかったら、駅まで見に来て、引きずっててでも車に連れて来て下さい、という意味のことを頼みました」「(被告人に対し)サリンは水で洗い流せば大丈夫ですので、水を用意する必要があります(と説明した)」(甲B一一九〇一)というものであるが、下見当日の事実の流れの中で、これらの場面でIがサリンという言葉を使ったことは何ら不自然ではなく、かえって、被告人の公判段階における弁解のように、対象を明らかにしないまま、「水で洗い流せば大丈夫」というだけの説明をしたとは考えにくい。この点について、Iは、検察官調書において、「第六サティアン」で、D、Jらと話した際、Dが、「サリンは水で洗い流せば大丈夫だ」と述べた旨供述しているのであり、これを受けて、Iが被告人に対し、Dの言葉どおりに説明したと考えられるのである。また、Iは、前記のとおり、記憶の曖昧な部分は曖昧なものとして留保する供述態度を取っているのに、この部分だけ記憶に反したことを述べたとするのも合理的ではない。Iは、サリンという言葉を用いた理由について、「既に被告人が地下鉄にサリンを撒くことについて知っていると思ったから、サリンという言葉について隠し立てすることなく話した」と述べているところ、三月一九日夜の渋谷アジトにおける謀議も含め、その後の犯行に至る過程の中で、運転手役あるいは被告人に対して、ことさらに犯行の内容を隠し立てするというような雰囲気は全く窺われないことからすると、Iがそのように思ったことはむしろ自然であるというべきである。

弁護人は、Iが、「Bが渋谷アジトでサリンという言葉を使っていたから秘密にする必要がないと思って、被告人の前でサリンという言葉を口にした」などと述べている点について、B自身がサリンという言葉を使っていないと証言しているのであって、渋谷アジトでサリンという言葉を使ったという前提事実が認められず、極めて信用性が低いと主張するが、サリンという言葉が、渋谷アジトにおいて明言されていたか否かについては、共犯者らの証言でも、これを肯定する者と否定する者があって、一致していないほか、Bが渋谷アジトでサリンという言葉を使っていなかったとしても、Iが、それまでのBとの会話等から、Bが渋谷アジドでサリンという言葉を使っていたと考えていたことは不合理とはいえず、弁護人の右主張は採用し難い。

(3) 一方、被告人の検察官調書を見ると、犯行前の状況から犯行後の状況に至るまで、犯行内容及びサリンの形状、撒布方法に関する認識が徐々に深まっていく様子を具体的に供述しており、迫真的である。また、その外形的事実については、被告人の公判供述と一致している上、サリンという言葉が用いられた部分は、前後の供述内容に照らしても、自然で合理的なものである。実際、被告人は、「Bがその時話していたことで、私が覚えていることについて説明します。Bの話で具体的な名前など覚えていない部分は、その旨断ってお話します。Bが、ローマとヴァジラ・ヴァッリィヤ師は四ツ谷駅と言ったのか、丸の内線と言ったのか分からないが、私の記憶では、四ツ谷駅と聞いた方の記憶が強い。Iが実行に向かうため車を降りた際にサリンを入れていたのは何だったかはっきりしたことは思い出せない」などと述べ、記憶のあいまいな部分については、その旨明らかにして供述しているのである。

また、被告人は、前記のとおり、被告人が自ら積極的に供述しなければ捜査官が容易には知り得ない様々な話を交えて供述していることに加え、「サリンを受け取りに上九一色村に行った際、被告人の車に乗ってきたのはJかIとGである。Hは、渋谷アジトにおいて、素手でサリンを持っていた」と述べ、犯行後の渋谷アジトの様子についても、Hが、自分で臀部に注射して悲鳴を上げていたなど、他の関係証拠と些か食い違う事実についても録取されていることに照らすと、被告人が、捜査官から誘導されるままにではなく、自分の記憶に基づいて真摯に供述したものと認められる。

さらに、被告人は、逮捕された当初、地下鉄サリン事件への関与を否定しており、その後これを認めるに至ったが、そのときの心理状態として、教団を護持し、A1らを庇おうとする気持ちを持つ一方で、罪の重さ、被害者、遺族らに対する謝罪の気持ち、いずれ発覚するとの思いから犯行を認めるに至った旨述べているところ、これらは合理的かつ自然な内容であり、被告人は、一旦犯行を認めた後は、サリンの認識も含めて、一貫して犯行全体について認めているのである。

(4) 以上のとおり、Iの供述と被告人の供述が相互に符合していること、それぞれの供述内容も自然で合理的であることなどを併せ考えると、下見の際に、サリンという言葉がIの口から出され、被告人において、本件犯行にサリンが使用されるということをその時点で認識したという点を含め、被告人及びIの検察官に対する各供述は、基本的に信用することができるものというべきである。

四  サリンの危険性に関する被告人の認識と殺意の有無に対する判断

1 次に、被告人のサリンの危険性に関する認識について判断する。

この点について、被告人は、そもそも、サリンの毒性についての十分な知識がなかった。すなわち、教団では、サリンという言葉を使っており、ナチが開発した毒ガスであることは知っていたが、けが人が出る、体調が悪くなるという感じであって、教団はサリン攻撃を受けても、誰も死んでいなかったので、人が死ぬという不安感はなかった旨弁解している。

2 そこで検討すると、被告人が、Iの行動について、非常に危険なものであると認識していたと認めざるを得ないことは前記のとおりであるが、これに加えて、被告人のサリンの危険性についての認識に関わるものとして、以下の事実が認められる。

(一) Aが、平成六年三月、四月に行った説法においては、サリンが毒ガスとして紹介されており、一撃で人を殺すものとして紹介されたこともあり、右説法は、「真理インフォメーション」という教団発行の信徒向け雑誌に記載されていた。

(二) 被告人は、教団が毒ガス攻撃を受けていることを内容とする「ほふられた子羊」という題名のビデオドラマに出演している。その中では、毒ガスに関する説明があり、サリンについての説明もなされている。

(三) 平成六年六月二七日、松本サリン事件が発生し、サリンにより多数の死傷者が出たが、教団では、これを伝える壁新聞が作成、掲示された。

これらの事実に照らすと、被告人は、サリンが人の生命に危険を及ぼす毒物であることを正当に認識していたものと強く推認され、さらに、前記のとおり、任意性が認められ、信用性も高い被告人の検察官調書に、Aの説法等の具体的事実や、サリンの危険性についての供述が録取されていることを併せ考えると、被告人は、サリンの毒性について十分認識していたものと認められる。

3 被告人のサリンの危険性の認識に関する弁解は前記のとおりであるが、被告人は、公判廷においては、「Aの説法は聞いているかもしれない。サリンがナチスの開発した毒ガスであることについては認識していた。『ほふられた子羊』に出演し、自分も毒ガスやサリンに関する説明をした。松本サリン事件の記事を、壁新聞だけでなく、コンビニでも見ているかもしれない」などと供述しているにも拘らず、サリンの毒性については、教団でだれも死んだ者はいなかったのであるから、生命に対する危険はないと思っていた旨弁解するだけで、松本サリン事件において実際に死者が出ていることなどについては合理的な説明ができなかったのであって、サリンの認識に関する被告人の公判供述は信用し難いといわざるを得ない。

4 弁護人は、この点について、被告人の公判供述からは、これから大規模な殺人行為を行おうとする者の緊張感が伝わって来ないから、サリンの危険性を認識していたとは考えられず、ひいては、被告人に殺意があったとみるのは不自然である旨主張する。

しかしながら、被告人は、前記のとおり、犯行前後の被告人自身の行動について合理的な理由を説明をしていない上、「Iについては、人のことなのであんまり思わなかった。どうしようもないときは仕方がないと思った」との公判供述は、何かを発生させて地下鉄内に騒ぎを起こし、その結果、何かが乗客の体に悪い影響を与える程度であるとの被告人の供述を前提として考えても、あまりにも緊張感を欠いた無気力で投げやりなものでかえって不自然としかいいようがない。

一方、被告人の検察官調書については、被告人自身、サリンという言葉を聞いて困惑した様子が現れている上、犯行前には、自身の緊張に加えて、Iが緊張していることを感じ取ってこれを和らげる言動をしているのであるから、緊張感が漂っているといえる。また、被告人の検察官調書には、A1の指示は絶対に正しいものと信じて疑わなかったので、被告人には、沢山の人を殺すためサリンを撒いても悪いことをするという気持ちはなかったとの記載があるが、この点については、その前後の供述内容及び供述経過に照らし、被告人の当時の心情として不自然なものとはいえない。さらに、被告人は、本件計画について、当初から参加したものではない上、実行役ではなく運転手役であったのであるから、Iほどの緊張感を有していなかったとしてもそれほど不自然とはいえないのである。

5 結論

以上の次第で、被告人は、Iから、地下鉄に撒布するものがサリンであることを聞き、サリンとは、生命に危険を及ぼす毒物であることを十分認識していたものと認められるのであって、被告人は、その認識を前提として行動していたものと認められ、地下鉄の乗客等不特定多数人に対する殺意があったことは明らかというべきである。

五  被告人の共同正犯性及び共謀の有無

また、被告人は、指示された車の運転手役を実行しただけであると弁解し、これを受けて弁護人は、判示第一の五の罪について、傷害及び威力業務妨害罪の幇助犯が成立するのみである旨主張するので、以下、判断する。

1 謀議参加状況

まず、本件犯行が計画された過程について見ると、前記のとおり、三月一八日未明ころ、Aが、リムジン車内で、Dらに対し、教団に対する強制捜査を妨害ないし阻止するため、地下鉄にサリンを撒こうと言い出し、サリンの撒き方などについて検討したことが端緒となり、同日明け方以降、H、K、I、J、Gらに対して、右計画が伝えられ、更に具体的な実行方法が話し合われるようになった。そして、同月一九日、Aから、Dに対し、被告人、R、N、S、Qを運転手役とするようにとの指示があり、同日正午ころ、Dが、被告人に対し、渋谷に向かうようにと指示を与えたことをきっかけに、被告人が、Q、Rとともに、渋谷に向かい、本件犯行に関与するに至ったものである。その後、被告人は、渋谷アジトにおいて、Bの指示を受け、これに基づいて各人がペアになって下見に向かったことなどから、少なくとも地下鉄で、それぞれが同時多発的に何らかの犯罪行為を行うものとして犯行の概要を理解し、さらに、下見の際のIの話から、地下鉄でサリンを撒布することについても、確定的に認識するに至ったものと認められる。

被告人は、謀議の当初から話合いの場に参加したわけではないが、前記のとおり、下見が終わるころまでには、サリンを地下鉄に撒くこと、その方法、サリンの危険性、共犯者の役割等、犯行計画の概要につき十分把握していたものと認められ、その後、犯行に用いる車を受け取りに行ったこと、Hらが、サリンが渋谷アジトに届いておらず、犯行予定時刻までに上九一色村にサリンを取りに行って戻れるか相談していた際に、今からなら間に合う旨述べた上、実際、Gら実行役を同乗させて、サリンを取りに行ったことなど、謀議内容が具体化していく中で、十分これを理解、認識した上、犯行から離脱することを考慮することもなく、行動を共にして、その具体化に積極的に関与したものと評価できるのである。

2 被告人の行動

本件犯行における、被告人の関与行動は、前記の下見、犯行に用いる車の準備、上九一色村から渋谷アジトへのサリンの運搬などに加えて、実行役であるIを、新宿駅まで連れて行き、四ツ谷駅で降りてくるのを待ち、渋谷アジトまで連れて帰るというものであるが、本件犯行が、地下鉄に毒ガスを撒くという極めて危険なものであることに鑑みると、下見、サリンの運搬などの行為が重要であることはもちろん、実行役を地下鉄乗車口まで運搬した上、実行役がサリンに被曝したときには、実行役を迎えに行き、場合によっては、注射をするなどの応急処置を行い、降車駅から安全に離脱させて連れ帰ることも、犯行を完遂し、その発覚を防ぐために不可欠の行為であり、本件の実行に際して被告人の果たした役割は極めて重要であるというべきである。

3 犯行の動機、目的について

犯行の目的について、被告人は、検察官調書においても、分からなかった旨述べており、この点について被告人が明確に認識していたとする証拠は存しない。

しかし、渋谷アジトにB、K、Hら教団幹部が集まって打合せがなされ、ほぼ一斉に下見及び実行に向かったこと、実行は地下鉄三路線五方面電車を対象とする大規模なものであること、教団幹部であるDが関与していることについても認識していたことに照らすと、被告人が、本件犯行につき、教団全体が組織的に計画し、敢行しようとするものであると認識していたことは明らかである。

また、被告人が、検察官調書(乙B一七、一八)及び公判において、「当時、DひいてはAの指示はすべて正しいものである、Aの指示には従わなければならないと思い、サリンを撒くことについて何の疑問を持つこともなく、実行役を車で搬送することも、オウムのワークの一つと考えて忠実に実践した」「それまで、指示されたことを前向きに実行するのが帰依であると言われ、ポアとは、殺された時よりも高い世界に転生させることであると理解していたものであり、本件犯行の際、Aがポアの儀式を行ったと信じ、犯行後にも、事件について供述すると、宗教的な意味で、自分の信じてきたものがそこで破壊されると思った」旨供述していることに照らすと、被告人が、自分自身の行動についても、宗教的な意味付けをした上で、教団全体で行おうとしていた計画に積極的に関与していったものと認められる。

さらに、被告人が、以前から、教団に強制捜査が入る恐れのあることを聞き知っていたこと、渋谷アジトにおいて、Bが、霞が関の警察を同時に狙う旨述べ、警視庁等に面した出入り口に近い車両の位置等が確認されていたことを考えると、本件犯行が教団に対する強制捜査妨害のために行われたものであることについても認識していた可能性が高いと認められる。

4 結論

以上のとおり、被告人が、謀議内容について十分理解しつつ、その具体化のために積極的に行動したこと、犯罪の遂行に必要不可欠な行為を行ったこと、本件犯行が多数の教団幹部の関与の下に組織的に行われたものであることを認識していたことなどの点を総合して考慮すれば、被告人は、単に教団幹部である共犯者らから与えられた指示に従って幇助的に行動していたに止まらず、事前に共犯者らとの間で意思を通じ合い、互いの行為を利用し補い合って、自己の犯意を実現しようとしたものであり、実際にも、本件犯行に必要不可欠な役割を果たしていると認められるから、共謀共同正犯としての罪責を負うべきことは明らかである。

弁護人は、渋谷アジトでは、Bから各人の組合せと乗降駅等が伝えられただけであり、その実態は謀議ではなく、被告人は、割り振られた役割の一部を遂行したに過ぎない旨主張するが、渋谷アジトにおける謀議がそのように程度の軽いものであったとは認められないばかりか、犯行の重要部分が既に決定されていた場合でも、その後の参加者が、謀議に参加したものとは評価し得ないとするのは妥当ではなく、犯罪実行計画の重要部分を諒解して、これに賛同した上、犯罪遂行のために重要な役割を果たした者は、共犯者らとの間で互いの行為を利用し補い合って自己の犯意を実現したということができ、共謀共同正犯に当たると解するのが相当であるから、被告人について、共謀共同正犯が成立することは明らかというべきである。

以上の次第であるから、判示第一の各罪に関する弁護人の主張は、いずれも採用できない。

第二C蔵匿事件について

被告人及び弁護人は、判示第二について、被告人の関与は、あくまでも従属的であり、自ら主体性をもって積極的に関与した事実はないから、被告人の犯人隠避・蔵匿の行為は、幇助犯にとどまる旨主張するが、前記犯行に至る経緯で示した被告人の関与は、教団の付属病院からCを女装させて連れ出した上、D原ホテルにおいて、Cの蔵匿計画についての共謀に参画し、その計画に基づき、Qらと緊密な連絡を取りながら、その後約二週間に渡ってCと行動を共にし、同人を石川県まで連れて行き、ホテルに宿泊させたり、被告人自身が偽名で借り受けた貸別荘に居住させ、生活を共にしながら、食料品、日用品等を手配するなどしてCを匿い、さらには、KがCに施す整形手術の補助をするなどして、実際に犯人蔵匿・隠避行為を実行し、積極的かつ主体的に行動しているのであるから、共同正犯としての罪責を負うべきことは明らかであり、弁護人の前記主張は、到底採用することができない。

(法令の適用)

被告人の判示第一の一ないし四の各所為のうち各殺人の点はいずれも平成七年法律第九一号による改正前の刑法六〇条、一九九条に、各殺人未遂の点はいずれも同法六〇条、二〇三条、一九九条に、判示第一の五の各所為はいずれも同法六〇条、二〇三条、一九九条に、判示第二の所為は包括して同法六〇条、一〇三条にそれぞれ該当するところ、判示第一の一は一個の行為が一一個の罪名に、判示第一の二は一個の行為が三個の罪名に、判示第一の三ないし五はいずれも一個の行為が四個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条により、判示第一の一ないし五についてそれぞれ犯情の最も重いU子に対する殺人罪の刑、Xに対する殺人罪の刑、Zに対する殺人罪の刑、C1に対する殺人罪の刑及びE1に対する殺人未遂罪の刑で処断することとし、各所定刑中判示第一の一ないし五の各罪についていずれも無期懲役刑を、判示第二の罪について懲役刑をそれぞれ選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四六条二項、一〇条により、犯情の最も重い判示第一の四のC1に対する殺人罪の刑で処断し他の刑を科さないこととして、被告人を無期懲役に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中一一〇〇日を右刑に算入し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

一  本件判示第一の各犯行は、教団の出家信者であった被告人が、教祖であるAや多数の教団幹部と共謀の上、サリンを地下鉄電車内に撒布し、乗客ら不特定多数の者を死傷させ(以下「地下鉄サリン事件」という。)、また、本件判示第二の犯行は、いわゆる目黒公証役場事務長逮捕監禁事件の犯人として指名手配されていた教団信者Cの逮捕を免れさせる目的で、教団幹部と共謀の上、Cを東京都内及び石川県内のホテルや貸別荘において蔵匿し、さらに、Cの顔面に整形手術を施すなどして隠避した(以下「C蔵匿事件」という。)事案である。

二  これらの各犯行は、個人の犯罪という枠組みを超えて、教団による組織的な犯罪であるという特殊性があるので、被告人の各犯行に対する関与の程度あるいはそれに対する評価といった個別的情状は措いて、まず、各犯行全般についての情状をみることとする。

1  地下鉄サリン事件について

本件犯行は、教団の教祖であったA1ことAが、教団活動を行ううちに、人類救済のためには、一般人に対する殺害行為のみならず、国家権力を打倒することが必要であるなどとして、教団の武装化を進め、その間、松本サリン事件等の数々の違法行為を行う中で、次第に捜査の包囲網が狭まり、平成七年二月二八日のいわゆる目黒公証役場事務長逮捕監禁事件に関して、教団関与の嫌疑が強く取り沙汰され、強制捜査が必至の状況となる中で、これを免れるため、教団幹部らと謀り、首都東京の中枢機能が集中する霞が関を通過する地下鉄の列車内にサリンを撒布して、首都全体を大混乱に陥れようとして敢行された無差別、大量殺人テロである。その動機は、教団の利益のためには手段を選ばないとの唯我独尊的、独善的なもので、Aは、ポアという宗教上の概念を自らに都合のよいように変容させ、同人の命令に基づいて人を殺害することは救済に繋がるなどと、教団独自の論理に基づいて犯行を正当化しようとしたものであり、その非常な悪質さは言うを俟たない。

犯行の手段、態様は、化学兵器として開発された神経剤の一種であり、ごく少量で多数の人を殺傷する能力を持つ猛毒ガスのサリンを使用し、ことさらに、最も混雑している朝の通勤時間帯を狙い、逃げ場のない密閉された空間である地下鉄の三路線五方面の電車内で、サリンをほぼ同時に漏出、気化させ、乗客等を無差別に殺傷したもので、我が国のみならず、世界の犯罪史上にも類例を見ない卑劣かつ残虐で、陰湿極まりない行為であるといわなければならない。

本件犯行は、約二日間という短期間にではあるが、Aを首謀者として、何度も謀議を重ねられ、犯行方法やそれぞれの役割分担等に加えて、最大の効果を上げるべく、霞ヶ関駅に同時に到着することを見計らって、地下鉄の乗車駅、乗車時間、乗車場所等細部にわたり打合せがなされ、前日には、実行役、運転手役の組合せで現場の下見を行うなど、周到に準備を重ねて実行されたものであって、教団による組織的かつ計画的犯行であるが、これらは教団の結束の強さを窺わせるとともに、その狂信性と社会に対する敵対性を如実に物語るものである。

本件犯行の結果、一二名もの乗客等がサリン中毒等で死亡しているのである。何の落ち度もないのに、通勤の途上、あるいは、営団職員として乗客の救助作業中に、急に目の前が暗黒なり、息苦しさが極度に募る中、全く事情も分からないまま死亡していった被害者の無念さは筆舌に尽くし難く、突然夫を奪われ、父を亡くし、あるいは子供を失った遺族の憤り、悲しみは察するに余りあるものがある。また、二名の被害者については、何とか生命は取り留めたものの、重篤や記銘障害が残り、あるいは半身不随等の障害が続き、将来的にも全面的に家族らに頼って生きて行かざるを得ないなど、例えようもなく悲惨な状態である。本体犯行は、その他にも、罪となる事実に判示したとおり、多数の者に傷害を与えたほか、サリンの撒布された三路線五方面の電車に乗り合わせた数多くの乗客らが病院に搬送されたことは公知の事実である。

本件犯行が、各被害者に与えた肉体的、精神的苦痛は甚大であり、被害者及び遺族の殆どが、事件に関与した者に対して、極刑を望んでいることも当然というべきである。そして、本件犯行が引き起こした大きな社会不安も量刑に当たっては強く考慮しなければならない。

2  C蔵匿事件について

本件は、目黒公証役場事務長逮捕監禁事件を教団が起こしたことを隠蔽するため、指名手配されたCを隠匿しようとして敢行されたものであり、教団に対する捜査の進展を阻止し、教団を護持することを目的としたもので、その動機は甚だ身勝手で酌量の余地がない。

犯行態様をみても、Cを女装させた上で、教団施設から連れ出し、石川県まで連れて行き、ホテルや貸別荘に宿泊させるなどし、さらには、貸別荘内において、指紋除去手術まで行っているのであって、大胆かつ巧妙な犯行である。Cは、平成七年五月下旬、逮捕されるに至ったが、被告人らの犯行により、適正かつ迅速な捜査が妨害されたことは明らかであって、その結果も決して軽視できない。

三  次に、被告人固有の情状について検討することとする。

1  地下鉄サリン事件について

被告人の本件犯行への関与は、当初から謀議に参加したものではなく、最後に運転手役としてAから指名されたことによるものであり、謀議への参加も受動的で、被告人自身がサリンを撒布したものではない。しかしながら、被告人は、謀議に参加し、犯行に向けての下見等の準備を行う中、サリンが撒布されることなど犯行の全容を認識した上、それほど躊躇した様子も見せず、犯行に使用される自動車を借り受け、上九一色村の教団施設からサリンを運搬するに当たっての運転手役を務めたほか、実行役であるIを新宿駅まで搬送し、犯行後に同人を四ツ谷駅付近で確保し、渋谷アジトに連れ帰るなど、Iが犯行を完遂する上で不可欠な行為を行ったものであり、本件犯行において被告人が果たした役割は重要であるといわなければならない。

また、Iと被告人が担当した営団地下鉄丸ノ内線池袋方面行き路線においては、幸いにして、死者は出なかったものの、重篤な傷害を負った被害者を生じている。乗客等の生命、身体に及ぼす危険性は他の路線と異なるところがなかったものであって、死者が出なかったことは偶然の結果に過ぎず、犯行の手段、態様、同時性を考えると、その点を重視することは疑問である。さらに、被告人らは、犯行計画全体を認識した上で、敢えて犯行を遂行したのであるから、共謀共同正犯者としてその全体について刑事責任を問われることは当然であり、この点からも死亡者が出ていないことをそれほど有利な事情として考えることはできない。

加えて、被告人は、地下鉄サリン事件については、不合理な弁解に終始しており、その供述態度は、残念ながら、心から非を悟り、事実を全て語って、真摯に反省している者の態度とは異なるものといわなければならない。

2  C蔵匿事件について

被告人は、Cを教団付属病院から連れ出した後、その蔵匿ないし隠避行為の全体に関わり、金沢に同行してホテルに宿泊し、貸別荘を手配して居住させるなど実行行為の重要部分を行い、整形手術を手伝うなどしているのであるから、本件において被告人が果たした役割は大きいものがあるとしなければならない。

四  結論

これらの事情を総合すれば、被告人の刑事責任は、極めて重大であって、厳正な処罰が求められるというべきであり、本件いずれの犯行においても、被告人は首謀者的な立場で各犯行を計画、実行したものではなく、基本的に教団幹部の命令に従って行動したもので、従属的な立場にあったと認められること、地下鉄サリン事件においては、運転手役として関与し、実行行為そのものは行っていないこと、被告人とIの担当した路線については幸いにして死者が発生していないこと、被告人は、現在は、自己の行為を反省し、地下鉄サリン事件の被害者に対して謝罪の意を表していること、これまで前科前歴はなく、教団への関わり方も、当初は、純粋に精神的なものへの興味から入会し、出家していったもので、Aらに利用された面も否定できないこと、現在では、教団の説く教義を否定した上、教団を脱会していること、母親ができる限りの償いとしてオウム真理教被害対策支援基金に一〇〇万円を寄付していることなど、弁護人が指摘する被告人のために斟酌すべき事情を十分考慮してもなお、被告人に対しては、主文掲記の無期懲役刑をもって臨まざるを得ない(本件は、その事案の性質上、判示第一の各犯行については、刑種として無期懲役刑を選択せざるを得ないものであり。他方で、これを酌量減軽した場合その処断刑の範囲は懲役一五年を上限とする有期懲役刑となるが、本件において、被告人に対する量刑としてこれが軽きに失することは明らかである。)。

よって、主文のとおり判決する。

(求刑 無期懲役)

(検察官畠山光太郎、同田澤博司及び同岡本安弘並びに弁護人F2(主任)及び同G2各出席)

(裁判官 福家康史 裁判長裁判官中山隆夫、裁判官山内昭善は転補のため署名押印することができない。裁判官 福家康史)

〈以下省略〉

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